Reozatugaku’s diary

今を生きる17歳です

世界一の投資家の恩師『ベンジャミン・グレアム』~生涯

グレアムの生い立ち

投資家でもあり経済学者でもあったグレアムは、億万長者の投資家ウォーレン・バフェットの育ての親として知名度を得ている。

バフェットはグレアムの構築した投資理論に心酔してグレアムを師とし、グレアムに教えを乞うためにコロンビア大学へ入学し(当時グレアムはコロンビア大学で教職に就いていた)、大学卒業後は「無給でいいから働かせてください」と懇願してグレアムの投資会社グレアム・ニューマン社に入社し、投資の腕を磨いたという。

このように、グレアムはバフェットの師として有名であるが、グレアム本人についてはあまり知らないという人も多いであろう。
グレアムは1894年にイギリスで生まれ、1895年に両親と共にアメリカに渡った。父は陶磁器店を経営していたが、グレアムが9歳の時に早逝する。家庭環境は一変し、グレアムは母親が不安におびえる姿を見ながら育った。この経験が、彼に財産の保全を深く考えさせることになり、後に「投資で最も大切なことは可能な限りリスクを軽減し、損失を出さないことである」とする、グレアムの投資理論の根本が培われた。

グレアムは勤勉な人物であり、投資家の中でも特に教養が豊かな人物であったと言われている。高校時代は家計を支えるためにアルバイトをしながらギリシャ語とラテン語を学んだ。グレアムの著作でギリシャやラテンの文学の引用が時折なされるのはこの影響である。

1914年にコロンビア大学を卒業したグレアムは、ウォール街で働くようになる。
初めは証券会社のメッセンジャーとして働いたが、まもなく企業分析をする役職へ昇進し、1917年にはすでに証券分析の腕が世に知られ、投資関係の雑誌に寄稿するまでになっていた。

1926年、グレアムはジェローム・ニューマンと共に成功報酬方式の投資会社を始めた。しかし1929年に世界恐慌による大暴落が始まり、グレアムの投資会社も大打撃を受けた。1932年にかけて資産は70%も減少した。もっとも、この資産の減少は特異的な事例ではなく、ダウ工業平均は74%。S&P500種総合株価指数も64%下落している。この時の経験も、グレアムに堅実な投資の重要性を認識させた。

彼の歴史的著作証券分析は1934年に出版され、1949年にはバフェットもバイブルとした賢明なる投資家が出版されたが、これらの著作もこの経験に依るところが大きい。

グレアムの真髄は「慎重さ」にあり

多くの投資家が投機的な投資を行う中でも、グレアムの投資行動は慎重を極めた。

グレアムの助手が投資銘柄を慎重に調査して提案しても、グレアムは銘柄の粗探しをするかのように不満な点を指摘し、反対することも非常に多かった。グレアムは完全に納得できる銘柄、すなわちあらゆる点を考慮したうえで損失を出す可能性が極めて低い銘柄のみに投資をした。

グレアムに言わせれば、自分で完全に納得できる銘柄でなければ、それは投機になるのである。以前の記事(https://360fx.info/activetrade)でも書いた通り、真の価値に比べて実際の株価が50%以下でなければ買おうとはしなかった。もちろん、そのほかにもいくつかの基準があるが、その基準を守った投資を何度も繰り返していけばよい結果が得られるという信条があった。

グレアムの投資のもう一つの特徴は、安全域というものである(安全域に関しては別の機会に詳述したい)。

これは、常に一歩の余裕を残しておくことである。その余裕があることによって、途中で思い通りに行かない事態が起きたときにも回復まで耐えられたり、場合によってはすぐに引き上げることができるというものである。この安全域への徹底的なこだわりは、市況の大きな変化に敏感に反応できなくなったり、本来ならば見つけられたかもしれない成長株を見逃したりするという間違いも生み出す。実際に、大きな上げ相場が始まった時にも、安全域へのこだわりによって慎重になりすぎてしまい、大きく稼ぐ機会を逃してしまうこともあった。そこで、後に弟子のバフェットは安全域を緩和して独自の投資を行っていくことになる。

しかし、慎重を極めたグレアムにとっては、たとえ安全域を設けることで儲ける機会を失ってしまっても、リスクを負うことが避けられるならばそれでよかったのである。この姿勢は、『賢明なる投資家』の1973年版でこのような一節によって表現されている。

「投資家は常に目前に迫る危機に備えていなければならない。1969~70年のような下落は、明日にも再び起こるかもしれない。あるいは、いったん暴落した後にそれ以上の暴落が待っているかもしれない」

1973年版が出版されて間もなく、1973年から1974年にかけて、世界恐慌を上回るほどの大暴落が訪れることとなったのは興味深い出来事である。

バランスシートを重視せよ

グレアムの理論の優れているところは、客観的で、説明しやすく、安全で、有利な投資理論だということである。

グレアムの理論とその他多くの理論を比較してみるとよい。主観的な理論、説明しにくい理論、リスクの大きい理論などが非常に多い。なぜグレアムの理論がそのように優れていたかと言えば、明確に表れた数字をもとに量的分析のみを行ったからである。その他多くの投資理論では、経営者の質、社会の動向、新製品発表に伴う企業の将来性などといった、把握しきれないものによる質的分析に頼っている。

グレアムはこれを嫌ったのである。もちろん、それらの質的分析によって爆発的な儲けを生み出す投資家も実際にいるが、そのような成功は投資理論よりも投資家本人のセンスに依るところが大きい。他の投資家が取り入れることはできない場合が圧倒的に多いため信用に値しないとグレアムは考える。

グレアムは全ての投資家が等しく利用できる投資手法を開発すべく研究を重ねた。その結果、投資概論として『証券分析』が著された。それは企業が発表する報告書などの公開資料だけを根拠にした投資手法であった。『証券分析』の中では様々な企業を実際に詳細に分析して見せ、財務上の問題点などを説明し、営業指針や財務指標を比較検討している。これによって企業の経営状態や財務内容の良し悪し、割高であるか割安であるかを正しく判断するための方法を具体的に示し、読者をバリュー投資の世界へといざなっている。また、この本では株式だけではなく、債権やその他の有価証券も取り上げられている。

もっとも、『証券分析』は邦訳にして800ページにわたる大部であり、方法論自体があまりにも精巧かつ緻密であったため、一般の投資家に浸透することはなかった。そこで、『証券分析』の出版後も研究は重ねられ、誰にでも使える手法を追求した結果、ついに非常に単純明快な方法を開発する。

それは、

株価が一定の基準よりも高いか低いかだけを見る

というものであった。

当時の通説では、経営力、成長性、技術革新、コスト競争力などの要素こそが正しい銘柄選択に重要とされていたことを考えると、異端の手法と言えるであろう。引退直前には割安株の基準が追加され、これによって『証券分析』で解説したような精緻な手法は必要なくなるかもしれないとグレアム自身が語っている。

『証券分析』の出版と大衆の反応をみると、ひとつの示唆が得られる。それは、今から約80年前のこの時代には今ほど投資手法は溢れていなかったにもかかわらず、それでもやはり大衆は手軽な手法を好んだということである。あらゆる投資手法が目白押しである昨今、『証券分析』におけるグレアムの投資理論を真剣に学ぶ投資家などほとんどいないのだろうと思わされる。しかし、そこにチャンスがある。なぜならば、投資ではその他大勢と同じことを学び実践するだけでは勝つ見込みがほとんどないからである。

浅学菲才な筆者はまだまだ学びの途上であるが、『証券分析』を含むグレアムの投資体系を深く学んだ「古典グレアム学派」の台頭の時がいつか必ず訪れると密かに信じている。